2016年10月6日木曜日

明けない夜をよこせ

21歳になった。この街に住み始めてから3年経ち、お酒を飲むようになってから1年経つ。

1年間、この街で文字どおり泥のように酔ったり(もちろん吐く日もある)、ほろ酔いになったりした。芸術学部に通ってこそいるが、自信を持って「これは俺が作った作品だ」と言えるのは、山のような吸殻と綺麗に便器に収まったゲロくらいのものだ。
そうやって朝まで働いたり酩酊したりということをこの街で繰り返した。
今住んでいるところは面白い街で、池袋から3駅7分、新宿とか渋谷まで地下鉄で20分で行けちゃうものだから、もちろん住宅が立ち並ぶ言うなら住宅街である。
それでも「閑静」という言葉とは程遠くて、商店街であったり飲み屋街であったり、そんな「雑多」な街並みも多い。傾向的には駅の南口が飲み屋街、北口は住宅街、といった感じだ。アメリカで言うところのWestsideとEastsideみたいなものだ。この街の東海岸と西海岸は綺麗に西武池袋線の線路で分断されている。

だいぶ日も短くなってきた。不思議なもので、夏至は全く夏本番とは言えない時期にやってくる。一年で一番昼が長い日は、今年は6月21日だったそうだ。まだ梅雨明けを待っているくらいの頃合いだ。8月の嫌になるほど早く上る朝日だって、もう秋に向かって全速力で駆け抜けているのだ。それでも冬至は毎年12月22日ごろだそうで、もういい加減に寒くなって、南の方でも雪がちらつくことだってあるだろう。一年で一番夜が長い日に向かって、また今度は秋を駆け抜けているところだ。

5時にお店を閉めて、様々な片付けをして店を出るとき、まだ暗かった。
お店を閉めて、それじゃあお酒を飲みに行きましょうかね、となる。そうしてだいたい近場のカラオケスナックのようなお店に行く。(本当はカツ丼屋さんなんだけど、最近よくわからない。)そうしてそこで店長とカラオケをしたり酒を飲んだりして、お店を出るのは最終的に7時だ。

そうして話は最初に戻る。
夜の街には、酔っ払いしかいない。多かれ少なかれ、みんな酔っている。店を閉めて、お酒を飲む。そうして7時ごろにそのお店を出ると、今度は街にはOLや女子高生がひしめいていて(もちろん男だっているんだろうけど脳が情報をシャットアウトしている)びっくりする。この街にこんなにシラフの人がいるだなんて!と思う。

でもたぶんだけど、僕らの方が置いていかれてるんだろうな。
僕は酔っ払うと顔に出るタイプで、大して言動は変わらないのだが顔が真っ赤になる。だから、恥ずかしくて暗いところでしか飲めない。
そういうわけで、酔って朝のこの街を歩いていると、たまにOLの人たちや女子高生から心底見下したような目で見られる。でも仕方ないじゃない。まさか朝が来るだなんて思っていなかったんだから。

この場合、邪魔したのはどっちなんだろう。その人の朝に、僕の夜が踏み込んだのか。それとも、僕の夜に、その人の朝が踏み込んだのか。

「黄昏時」というものがある。夕方の少し薄暗くなってきたくらいの時間のことだ。「誰ぞ彼」と問わないと、向かいにいる人が誰かわからないからだ。
朝はその逆で、「彼は誰時」と言う。かわたれとき、と読む。ちょうど、お店を移ってお酒を飲んでいる時のような時間だ。もうその時間にお酒を飲んでいる人はだいたい真剣に酔っ払っているから、いくら明るいお店でも「あの人は誰?」とマスターに聞かなきゃわからないだろう。確かに「彼は誰時」と言えなくもない。

こんな言葉を聞いた。中島らもさんの「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」より

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ただこうして生きてきてみると
わかるのだが、

めったにはない、
何十年に一回くらいしか
ないかもしれないが、

「生きていてよかった」
と思う夜がある。

一度でもそういうことがあれば、
その思いだけがあれば、

あとはゴミクズみたいな
日々であっても生きていける。
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僕は、そんな夜を探して生きていきたい。一生朝まで酔って歌っていたい。そんな夜を探しながら、そう思いながら、毎日僕は彼は誰時を迎える。朝の人たちの邪魔をしないように、道の端っこを歩きながら、すごすごと家に帰る。

文章を書くことは、現実逃避の一つだと思う。僕は今、もちろん酔っている。そうして散らかった部屋で山積みの洗濯物と仲良く暮らしながら、この文章を書いている。誰かお願いだから部屋の掃除を手伝ってくれ!