みんな元気でやってる?
僕はまずまず。ほとんど一年に一度しか更新しないブログを更新するくらいには元気。
でもそれって裏返しで、「便りがないのはよい便り」なんて言葉があるけど、一年に一度しか更新しないブログを動かしてるっていうのは、こうやって自分が考えてることを文章にしないと、 目の前が霞んで動けなくなっちゃうくらいには元気がないのかもしれないね。
Remembers highってのがこのブログのタイトルで、ランナーズハイやクライマーズハイなんて言葉があるけど、生きてるといろんなことがあって、早く忘れたくて仕方ない朝もあれば、一生覚えておきたいと思う夜もあって、そんなものをずーっと覚えておけたらな、と思ってはじめたのがこのブログ。
最近昔の友達から、突然このブログのとある記事が送られてきて、「俺はこの日のお前の言葉がめちゃくちゃ好きだ」って言われたんだよね。
そうして、その記事を読み返してみる。嬉しいんだよね、そうやって、この言葉が良かった、なんて言ってもらえるのは。
でも、それは同時に悲しいことでもあって。一生覚えておきたい、と思ったことも、今となっては言われなきゃ思い出せないブログの1記事でしかなくて。ただただ「懐かしい」で終わっちゃうんだよね。
過去を懐かしむのはさ、そこに失われた記憶があるからで。愛した記憶も、愛された記憶も、全部ひっくるめて、過去になっちゃったんだなぁって。そうやって、過去のことばっかり考えてる自分に嫌気が指すんだ。
でもね、そんな過去があってこそ、見えてくるものって実はめちゃくちゃ多くて。過去がないと、未来って絶対ないもんね。だってそうだろ、人間は今まで食べてきたものでしか生きてないんだから。
笑える話もたくさんあるし、聞いた人全員顔をしかめるような話もたくさんある。全部ひっくるめて、それが俺が食べてきたものなんだよね。
「正解がわからない」って、人の愚痴を聞いてるとよく聞くんだけど、正解なんてこの世に一つとしてないんだと思うな。
ただ、じゃあそうなると世界に救いは一つとしてないのか、と言われるとそうでもなくて。
月並みなことを言うようだけれど、人生って一度きりだからね。
自分が今まで取ってきた選択肢は、きっと一つとして正解なんてなかったし、きっと全部正解なんだと思うな。たとえそれがどんな形であれ。
明らかに誰の目からしても間違いなことだって、数多くあると思う。
それでも、その選択肢を取った結果、今の自分がいる。食べたものでしか生きてない。いいものを少しだけ食べることは幸せだ。でも、物足りないかもしれない。悪いものをたらふく食うことだって幸せだ。でも、食事の後はひどい下痢に悩まされることになる。
人生に正解も間違いもなにもなくて、振り向くとただ自分が取ってきた選択肢がたくさん並んでるって話で。だから、正解とか間違いとかじゃないんだと思う。
強いて言えば、自分で選んだ選択肢を、一生かけて肯定することこそ、正解なんじゃないかな。
“Sauve qui puet”
昔の昔のそのまた昔、例えば船が沈みゆく時、船長はその船と運命を共にしなければいけない、というとんでもない法律があったらしい。
そうして、沈みゆく船の甲板から、船長がこの言葉を救命ボートの乗組員に向かって言うわけだ。「生き延びることが出来るものは、全力で生き延びよ」って。
2019年(平成31年)を迎えるにあたって、色々と辛いこともあると思うし、そのぶん今年だって、楽しいことはきっとたくさんあると思う。
俺は生き延びるよ、今年も。
きっと色んなことがあるだろうけどさ、みんなで今年も全力で生き延びような。
一生かけても見つけられないかもしれない正解に、少しでも近づける一年になるといいね。
それじゃ皆様、今年もひとつよろしくお願いいたします。