2019年4月26日金曜日

平成の終わりに寄せて

やあ。何をやるにしても、「平成最後」って枕詞がつく今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?
これがきっと、平成最後のブログの更新になるだろうね。

前にこのブログで書いたけど、「終わり」ってのは悲しくなるもんだよなぁ。でも、終わりのないパーティーはきっとつまらないんだろうし、あれだけ楽しいと思えるセックスですら、いつまでも終わらないで腰を振り続けてるのは惨めで、申し訳なくて、な〜んて、そんな話はどうでも良いんだけど。

平成7年に生まれた僕は、今日(2019.4/26)の時点では、平成時代しか知らない。
うまく言葉で伝えるのは難しいんだけど、「平成最後」ってのは、なんだか、人生最後って感じがして。
もちろん平成の後には令和が来るし、いつか令和だって終われば、「T.S.H.R」以外から始まる新しい元号が出来て(日本の国体が大きく変わらない限り、の話だけど)、来週の今頃はきっと「令和最初のラーメン!」だのなんだの言ってるだろうよ。

でも、平成が終わると考えたとき、今まで自分が平成においてやってきたことは、今までの人生で、って読み替えられるわけだからね。平成しか生きてないから。

なんでそんなことを急に思ったかっていうと、僕は今昨日小竹向原駅に置きっ放しにした自転車を取るために普段と違う有楽町線の終電に乗っていて。
仕事が終わるのが遅いのは今に始まった話ではなく、池袋線や大江戸線の終電に乗ることは多いし、例えば渋谷で友達と飲んだりしたら、ほぼ間違いなく副都心線の終電に乗ることになるんだけど。

でも、スーツで、疲れた顔して、有楽町線の終電に乗るのは、僕が今まで生きてきた中で(つまり、僕の中の平成で)最もサラリーマン的だなと思って。
そう考えると、平成の大部分を「学生」「遊び人」として駆け抜けてきた中で、例えば最も「高校生的な」地下鉄の使い方はなんだろう。「大学生的な」地下鉄の使い方はなんだろう、って考えたわけね。つまりは備忘録。有楽町駅から小竹向原駅の間の27分で、真剣に考えてまようと思ったわけ。一つ一つ思い出していこう。

高校生の時に乗ってたのは、なんと言っても福岡市営地下鉄だな。空港線だ。
そもそも通学で地下鉄を使ってたし、あの頃は全てが高校生的であったと言えるなぁ。
そうそう、僕の友達は、もちろん僕も含めてだけど、誰1人金を持っていなかったな。僕は定期が福岡市内の中心駅から地下鉄の端っこまで使えたから大丈夫だったけど、友達は金がないから、使い終わった人が駅に置いていく地下鉄一日券なんかを必死で探していたっけ。みっともないよなぁ。でも、なんだか宝探しをしているような気すらしたし、終電まで探しても見つからなくて、天神から藤崎までみんなで明治通りを歩いたりしたっけ。
うん、極めて高校生的だな。他にも好きな子と普段絶対使わない駅にわざわざ行ってベンチに座ってただお話してたことなんてのもあったな。
なんだよ、結局高校生なら何やっても高校生的なんじゃないか。

じゃあ大学生だった頃はどうだろう。
そりゃもちろんさ、高校生だったころも大学生だった頃も同じくらい地下鉄には乗ってたけど……
一番印象に残ってるのは、これも今乗ってるのと同じ有楽町線だなぁ。
東武練馬に住んでる女の子の部屋に転がり込んでた時、何日もいたもんだからさすがにそろそろ帰らなきゃなぁ、つって、当時は今ほど土地勘もなかったから、まあ同じ練馬区なんだし全然歩けるだろうと思って歩いたんだ。

実は東武練馬は、(西武)練馬駅と6キロばかし離れてるんだよね。今はもう、6キロくらい余裕で歩けるけれど、上京してほぼ一年が経とうとする冬に、さっきまで女の子が隣にいたのに一人でてくてく歩くって状況に嫌気がさしたんだな。
なんてったって東武練馬から練馬方面に歩くのは景色が悪い。
ずーーーっと、陸上自衛隊の駐屯地の横を歩くんだ。冬の夜に一人でね。
それで心が折れて、やっと見えた明かりの有楽町線の平和台駅から地下鉄に乗ったんだ。終電のほんのちょっと前だった。あんなことがなかったら、平和台駅なんて一生使わなかっただろう。
地下鉄に乗ると、なんのことはない、5分で家の最寄り駅まで着く。物思いに耽る暇もない。だから別に、その時何を考えたとか、そんなことは一切覚えてないけど、でもなんとなくその日の地下鉄のことは覚えてる。

その子の家に行くことは結局それが最後になった。だから何、ってわけではないけれど、なんとな〜く印象に残ってる地下鉄だったなぁ。

高校の友達もだし、昔なぜか一緒にいた女の子もそうだけど、平成ってめっちゃいい時代だったじゃんね、こう考えると。めちゃくちゃ楽しかったもん。

令和も、大好きな友達や大切な女の子や、夜の地下鉄や、そういうかけがえのない時間をたくさん過ごしていきたいもんだなぁ。

じゃあ、また令和でお会いしましょう!良い元号を!

2019年1月8日火曜日

Sauve qui puet.

あけましておめでとう。
みんな元気でやってる?
僕はまずまず。ほとんど一年に一度しか更新しないブログを更新するくらいには元気。
でもそれって裏返しで、「便りがないのはよい便り」なんて言葉があるけど、一年に一度しか更新しないブログを動かしてるっていうのは、こうやって自分が考えてることを文章にしないと、 目の前が霞んで動けなくなっちゃうくらいには元気がないのかもしれないね。

Remembers highってのがこのブログのタイトルで、ランナーズハイやクライマーズハイなんて言葉があるけど、生きてるといろんなことがあって、早く忘れたくて仕方ない朝もあれば、一生覚えておきたいと思う夜もあって、そんなものをずーっと覚えておけたらな、と思ってはじめたのがこのブログ。

最近昔の友達から、突然このブログのとある記事が送られてきて、「俺はこの日のお前の言葉がめちゃくちゃ好きだ」って言われたんだよね。
そうして、その記事を読み返してみる。嬉しいんだよね、そうやって、この言葉が良かった、なんて言ってもらえるのは。
でも、それは同時に悲しいことでもあって。一生覚えておきたい、と思ったことも、今となっては言われなきゃ思い出せないブログの1記事でしかなくて。ただただ「懐かしい」で終わっちゃうんだよね。
過去を懐かしむのはさ、そこに失われた記憶があるからで。愛した記憶も、愛された記憶も、全部ひっくるめて、過去になっちゃったんだなぁって。そうやって、過去のことばっかり考えてる自分に嫌気が指すんだ。

でもね、そんな過去があってこそ、見えてくるものって実はめちゃくちゃ多くて。過去がないと、未来って絶対ないもんね。だってそうだろ、人間は今まで食べてきたものでしか生きてないんだから。
笑える話もたくさんあるし、聞いた人全員顔をしかめるような話もたくさんある。全部ひっくるめて、それが俺が食べてきたものなんだよね。

「正解がわからない」って、人の愚痴を聞いてるとよく聞くんだけど、正解なんてこの世に一つとしてないんだと思うな。
ただ、じゃあそうなると世界に救いは一つとしてないのか、と言われるとそうでもなくて。
月並みなことを言うようだけれど、人生って一度きりだからね。
自分が今まで取ってきた選択肢は、きっと一つとして正解なんてなかったし、きっと全部正解なんだと思うな。たとえそれがどんな形であれ。

明らかに誰の目からしても間違いなことだって、数多くあると思う。
それでも、その選択肢を取った結果、今の自分がいる。食べたものでしか生きてない。いいものを少しだけ食べることは幸せだ。でも、物足りないかもしれない。悪いものをたらふく食うことだって幸せだ。でも、食事の後はひどい下痢に悩まされることになる。

人生に正解も間違いもなにもなくて、振り向くとただ自分が取ってきた選択肢がたくさん並んでるって話で。だから、正解とか間違いとかじゃないんだと思う。
強いて言えば、自分で選んだ選択肢を、一生かけて肯定することこそ、正解なんじゃないかな。

“Sauve qui puet”

昔の昔のそのまた昔、例えば船が沈みゆく時、船長はその船と運命を共にしなければいけない、というとんでもない法律があったらしい。
そうして、沈みゆく船の甲板から、船長がこの言葉を救命ボートの乗組員に向かって言うわけだ。「生き延びることが出来るものは、全力で生き延びよ」って。

2019年(平成31年)を迎えるにあたって、色々と辛いこともあると思うし、そのぶん今年だって、楽しいことはきっとたくさんあると思う。
俺は生き延びるよ、今年も。
きっと色んなことがあるだろうけどさ、みんなで今年も全力で生き延びような。
一生かけても見つけられないかもしれない正解に、少しでも近づける一年になるといいね。

それじゃ皆様、今年もひとつよろしくお願いいたします。