一緒に生きていける人なんて正直な話いくらでもいると思う。好きなものは何か、どこに住んでいるのか、今までで一番楽しかったことは?悲しかったことは?好きなアーティストは?昨日何食べた?俺のことが好き?色々な疑問を解消していって、ある程度疑問が無くなった時にその人と生きる「覚悟」が出来るんだと思う。こいつとなら生きていける、そうとでも思わない限り、無駄にも思えるくらい多くの質問なんてしないだろうから。
とんでもないことを書くが、俺はみんな大好きだ。無論女の子に関しては性的に好きだという側面もある。男にはない。それでも、俺は、君たちが、好きだ。胸を張って言える。少なくとも、この駄文を読んでくれる君たちのことを俺は嫌いになれない。もちろん、この文章を読んでる人となら共に生きていけるかと言われると、全員が全員そうとは限らない。俺はわりと多くのタバコを吸う。上から目線の言い方にはなるが、それを我慢してくれない人とは、どれだけ好きでも一緒に生きられない。俺がタバコを我慢しない以上、俺には一緒に生きていく資格すらないのだと思う。ただ、誤解しないでほしいのは、俺がその人よりもタバコのほうが好きだとか、その人よりもタバコを選んだだとか、そういうことではないのだ。だってそうだろ、人間はタバコと結婚できないし、彼女に火をつけて吸うわけにはいかないんだから。
話を戻す。生きていく上で大切なのは「すり合わせ」だと思う。お互いのことを知り、考え、そうやって一緒に日々を浪費していく。はっきり言って最高だ。ただ、なかなかその段階まで進む人というのは珍しい。これはいつも言っていることだが、俺たちがどういう輪廻転生を経てこの世に生を受けたのか知らないが、ニンゲンとして生まれた以上、学生としての本分が勉学なら、動物としての本分は子孫を残すことであり、それは即ちセックスのことである。極端な話をするが、男と女がいればそれだけで話は終わる。
しかし、共に生きていくとなると話は別だ。付き合う、ともいうが、男と女がいるからって話は終わらない。かと思えば、男と男、女と女で話が終わることだってある。
「モグラのカップル」についての話を聞いたことあるだろうか。それじゃあ「チベットスナギツネのカップル」については?きっとないだろう。僕もない。それじゃあ「マレーバクの交尾」は?僕は目の前で見たことがある。何が言いたいかというと、共同生活としてカップルを組むのは人間に残された最後の意地なのだ。セックスは動物でもできる。結婚となると話は別だ。共に生きていくというのはそういうことだ。
話ははじめに戻る。「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない」というのは、やっぱり奇妙な話だ。一つだけ言えるのは、それは愛より恋よりも綺麗かつ深い話だ、ということだ。
一緒に生きていくのは簡単だ。でもそれは、愛だし恋だ。
逆を考えてほしい。「一緒に死ねる」人ってどれだけいるだろう。愛して恋してる人は、いつまでも一緒にいたい。生きていてほしい。せめて自分が先に死にたい。一緒に死ぬのは、愛でも恋でもない。愛や恋なら、決して死んでほしくないからだ。それでも、この関係は何よりも深くて、何よりも潔いと思う。そんな人、80年の人生のうちに見つかったら幸運だ。
愛でもないが、恋でもない。それでも、その人を決して離さずに二人で朽ち果てていく。そんな人、これからの人生で見つかるのだろうか。
朝まで二人で過ごして、帰り道に自転車の後ろに女の子を乗せる。何かを感じて、Yes I can!と叫ぶ。そうして後ろからダンプに突っ込まれる。それでも、そのまま死んでもなんの後悔もしない。そんな想いがこれからの人生で何度できるだろう。一度も出来なくてもおかしくはない。だからこそ、俺はそれを探したい。もし俺がそのまま死んだなら、俺と一緒に生きてきてくれた人たちは、俺のことを好きじゃなくてもいいから忘れないでほしい。
余談だが、今の状況としては俺の横では男が高いびきを書いて寝ている。ここまでこの文章を書いてだいぶ遺書チックにすらなってしまったが、俺は一緒に死ぬのがこのムサい男になるのは嫌だ。もしそうなったら絶対に成仏しない。一生かけて(幽霊の一生がどれくらいなのか僕は知らない)お前らを呪ってやるからな。合掌。