2014年11月27日木曜日

綺麗は汚い、汚いは綺麗

このフレーズには聞き覚えがあるが、いったいどこで聞いたものだかは忘れてしまった。
そうしてなんでこんな時間にこんなディズニー映画じみたタイトルのブログを書きはじめたかということだけど、シンプルにいえば家の鍵をどこかに置き忘れてしまったからだ。

これがもし地元ならば、まず鍵を持ち歩いたりしないし、どこかに置き忘れてしまったところで30分も友達と探し回れば、簡単に見つけられる気がする。でも、残念なことにここは東京なのだ。
今日俺は、合計でおおよそ2kmの道を歩き、5回電車に乗り、たくさんの人間が出入りする場所に3箇所行った。だから、もちろん電話をかけてみたり最善のことはするつもりだけど、もしかしたらもう二度と鍵は出てこないかもしれないし、不動産に頼んで合鍵を作るほうがよっぽど早いだろう。
それでもこの時間にやっている鍵屋なんかに頼もうものなら、何万円かかるかもわからない。そうして今夜の寝床を確保するために飛び込んだ、家の近くのネットカフェ。

もしも池袋行きの電車が終わっていなかったら、間違いなくそっちに行っただろうに、悲しいかな我が家の近くのネットカフェは、今までたくさんのネカフェで夜を過ごしてきた僕史上、最も古くて汚いネカフェだったのである。

そうして部屋に入り、母に電話した。やはり困ったときの母は強い。そして優しい。なぐさめるわけでも叱るでもなく、ただ冷静に対応策を練り、まあそんな日もあるさといって電話を切る母親。
そういえば前にもこんなことがあった気がした。そうしてそれはデジャブではなかった。

あれは忘れもしない今年の二月の……何日だったっけ。とにかく、日芸の放送学科の二次試験の受験の前日のことだ。
日芸の放送学科はどうも田舎ものがお嫌いらしく、一次試験の筆記が終わるとそのまま二次試験の実技に向かう音楽学科や美術学科を尻目に「それじゃ一次の合否は二次の前日に発表するから待っててね~ん」なんて抜かす。別に放送学科が本命ではなかった俺は、まあ落ちててもいいや的な楽観的な姿勢のまま羽田空港に向かう。そうして羽田空港で飛行機の遅れを知り一次試験の答え合わせをしてみた。

一般的に日芸は一次で140あれば実技の出来は多少よろしくなくても受かる可能性は高くなって、また一次と二次がある学科はだいたい110点くらいあれば一次は通過するという(無論芸術学部なので大事なのは実技だけど)。そうして俺は一次で160点をゆうに超えていた。だから俺は帰りの飛行機で羽田を飛び立つとき、滑走路を眺めながら「グッバイTOKYO、また四日後な」などとニヒルな顔でつぶやいたものである。

そうして運命の発表の日、当然のごとく合格していた俺は母親と福岡市の中心・天神で落ち合い、飛行機代の支払いなんかをしてもらって、俺はそのまま羽田へ向かった。母親から「まあ放送は第一志望じゃなかっちゃろ?でもそげんようらにやっちゃだめよ」(*「よーら」…博多弁で「てきとう」「いいかげん」という意味とです)というありがたいお言葉と一万円を頂き、るんるんで東京に飛び立った。しかし、俺も母親も、空港の荷物係員でさえ、俺が学校指定のワイシャツを忘れていってしまっていることに気づかなかったのだ。なんということだろう。それに一番に気づいたのは母で、もちろん母が家に帰ってからのことだった。
空港の係員も、どう見たって俺は入試に行きそうな身なりをしてるんだから、X線をかけて「あのうそちらの生徒さんのスーツケースですばってん、学ランはありますがワイシャツの入っとらんごたるですよう」とくらい言ってくれればよかったのに、どうしてそうしてくれなかったのか不思議なくらいだ。

とにかく、まあワイシャツやら百円ショップででん買うならよかねエヘラエヘラと母と話し合った俺は、すぐさま西武新宿駅のダイソーに行った。しかし、ワイシャツはなかった。
もう夜が始まろうとしていた。歌舞伎町で夜を迎えるのは避けたかったのでワイシャツはあきらめて泊めてもらう先輩の家で貸してもらおうと思った矢先、腹が痛くなった。だから、今でも忘れない島村楽器の横のトイレに駆け込んだ。コートやらなんやらを脱ぎ、さいふをベビーチェアに置いて用を足し、ほっとしてトイレを後にして、エレベーターで一階まで降りたところで気がついた。
財布をトイレに置いてきた。

もうわたしったらおっちょこちょいだなあ、てへっなんて思いながら意気揚々とトイレに戻ると、財布が開いている。おやおやなんだこれはと思いつつ中を見ると、綺麗に一万円札がなくなっているではないか。

俺は絶望した。どうやってこんな不案内な土地で無一文で暮らしていけばいいのだろう。
つらく悲しい気持ちを引きずりながら浴びた東京の木枯らしは、なんともひどいものだった。
そうして母と、対応策を話し合った。キャッシュカードなんてハイソなものをまだ持っていなかった俺は、泣く泣く生まれて初めて文章を書くってことで賞品としてもらった一万円分の図書カードを換金することになった。

どこで換金しよう、と思ったが、金券ショップの場所なんてわからない。必死で調べて歩き回った。
そうして歌舞伎町を歩き回っていると、雑多で、猥褻で、汚くて、高校のころ少しだけ浮き足立って歩き回った中洲の街が、とても綺麗で小さく思えた。

話しかけてくる客引きはとんでもなく邪魔だったが、その中でも人のよさそうな顔をした客引きが「何かお探しですか」と言ってきた。無論この客引きはピンサロとかキャバクラとかそういうのを案内するつもりだったんだろうけど、実はこれこれこうこうだと話して、金券ショップを案内してもらった。後にも先にも、客引きが金券ショップを案内することはないだろう。

そうして一万円分の図書カードを換金して母に電話すると、「よか」とだけ言われた。
何のよかことのあるやろうか。母がくれた一万円は、きっとこの街で使われるのだ。母が稼いだ一万円は、この街で淋しい人間が淋しいセックスをするために使われるのだ。そう考えると、腹立ちとも怒りとも悲しみとも言えない気持ちがこみ上げてきた。

そういうわけで、俺のお守りみたいな一万円分の図書カードは、歌舞伎町の金券ショップにある。今もあるかはわからないけど、いつか金持ちになってそのカードを買い戻すのが、今にところでの俺のささやかな夢だ。

余談だが、俺は次の日の実技試験をぼろぼろのメンタルで迎えた。金をなくし、やけくそで実技受けるのやめようかなって言えば遅くまで面接の練習を手伝ってくれた友達に激怒され。でも結局、その話をエッセイにして実技試験で提出したら合格を頂いた。綺麗と汚い、幸福と不幸、戦争と平和、ものごとはそういうふうにできているのだ。


そういえば、あのとき先輩から借りたワイシャツ、まだ返してないなあ。